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管理人の紙コンサルこと、べぎやすです。
今回は、紙幣の人物はどんな人?
日本のお札に描かれる人物の魅力と背景
というお話。
管理人も最近見るようになりました。
新紙幣。
といっても千円札だけですけど。
なんだかちゃちだな~
というのが正直な感想。
管理人的には子供の頃に見た聖徳太子の
一万円札がお札と言う感じがしますね~
まあ新紙幣と言われても最近は
現金じゃなくてカードを使う。
なのでいつになったら馴染むのか?
それは分かりませんけど。
それはそうとして。
日本のお札には必ず偉人が描かれています。
ではそれはどんな人物なのか?
ちょっと気になりました。
ということで。
この記事では紙幣の人物はどんな人?
日本のお札に描かれる人物の魅力と背景
について
管理人が調べたことを
お伝えしたいと思います。
紙幣の人物の選定基準
そもそも紙幣に描かれる人物は、どのようなプロセスを経て決められているのでしょうか?
いわゆる選定基準と呼ばれるものが存在し、それに基づいて慎重に判断されているようです。
その基準には、いくつかの明確なポイントがあるとのことです。
==ここから==
日本の紙幣に登場する人物は、決してランダムに選ばれているわけではありません。紙幣に描かれる人物の選定には、いくつかの重要な基準が設けられています。まず第一に、その人物が日本の歴史や文化において極めて大きな貢献をしていることが求められます。政治、経済、文学、医学、教育など、さまざまな分野において功績があることが重要なポイントとなります。
さらに、その人物が一般的に広く国民に知られており、教科書や教育機関でも扱われるような存在であることも重視されます。特に教育的価値が高く、子どもたちがその人物の業績を通して日本の歴史や精神を学べるという観点も大切にされています。また、肖像画として使用できるだけの資料や絵画、写真などが残っていることも、技術的な面から選定に影響を与えます。
これらの複数の条件を満たした人物のみが、新しい紙幣のデザインとして採用される可能性を持つのです。選定は慎重かつ公正に行われ、国民への影響や時代の流れもある程度反映されるよう考慮されています。
==ここまで==
なるほど、という印象です。
「一般的に広く知られている」という点については、やや曖昧さを感じなくもありませんが、選定する側の意図としては、ある程度国民に馴染みがあり、説明なしでも認識される人物という意味合いがあるのかもしれません。
一方で、「教育的価値が高い」という理由には納得がいきます。子どもたちや若い世代が紙幣を通して歴史や文化に興味を持つきっかけになると考えれば、これは十分に理解できる基準と言えるでしょう。
たとえば。
管理人は新渡戸稲造は五千円札に
なって初めて知りました。
なので広く知られてはいないと思うんですが
新渡戸稲造は「武士道」の著者で教育者。
教育的価値は高いでしょう。
選び方としては一般的によく知られているより
教育的価値が高いほうが優先されているのか?
そんな感じがしますね。
ちなみに。
新渡戸稲造の武士道はこれ。
管理人は読んでませんけど。
そう考えると聖徳太子は適任だった。
日本の歴史に名を残す有名人だし、
教養の高い理想的な文化人だし。
なにより制定した十七条憲法は
「和を持って尊しとなす」
という平和主義者だし。
実際には蘇我氏と物部氏の
権力争いが激しかったから
こういう平和主義の憲法を
作ったのかもしれませんが。
いずれにしても。
紙幣の人物は日本における
重要人物ということですね。
紙幣の人物一覧
これは以前の記事にも記載しました。
とりあえず紙幣の人物の一覧です。
一万円 | 五千円 | 千円 | |
B券 | - | - | 聖徳太子 |
C券 | 聖徳太子 | 聖徳太子 | 伊藤博文 |
D券 | 福沢諭吉 | 新渡戸稲造 | 夏目漱石 |
E券 | 福沢諭吉 | 樋口一葉 | 野口英世 |
F券 | 渋沢栄一 | 津田梅子 | 北里柴三郎 |
管理人のイメージは聖徳太子。
あとは福沢諭吉ですね。
逆にお札のイメージがないのが
新渡戸稲造、樋口一葉でしょうか。
津田梅子や北里柴三郎が馴染むのか?
管理人の年齢だと難しいかも知れません。
新紙幣の人物概要
せっかくなので新紙幣の人物概要を
国立印刷局HPから抜粋してみます。
==ここから==
渋沢 栄一
しぶさわ・えいいち(1840~1931)
埼玉県深谷市出身。日本の実業家。江戸時代末期に農民から武士に取り立てられ、一橋慶喜に仕える。27歳の時、第15代将軍となった徳川慶喜の実弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学するほか欧州諸国を訪問。明治維新が起こり、欧州から帰国すると、静岡に「商法会所」を設立。その後、明治政府に招かれ、井上馨のもと、大蔵省の官僚として、造幣、戸籍、出納など、さまざまな政策立案を行い、新しい国作りに深く関わります。
退官後は実業界に転じ、第一国立銀行、東京商法会議所、東京証券取引所などの企業や団体を設立・経営。生涯に約500社の企業に関わったとされ、「日本近代社会の創造者」と称されます。同時に約600の教育機関や社会公共事業、研究機関等の設立・支援にも尽力。「論語と算盤」の言葉に代表される「道徳経済合一」の思想でも知られています。
この肖像の年代は、70歳の古希のお祝い時に撮影された写真等複数枚を参考として描かれました。ただし、各方面で活躍されている躍動感や若々しさを表現するため、60歳代前半にリメイクされています。
津田 梅子
つだ・うめこ(1864~1929)
東京出身。日本の女子教育家。女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者。
幕末の農学者で、江戸幕府の外国奉行支配通弁(通訳官)を務めていた津田仙、初子夫妻の次女。1871年、6歳の時に日本最初の女子留学生として岩倉遣外使節団と共に渡米。ワシントン近郊のジョージタウンに住むランマン夫妻の元に約11年間滞在し、17歳で帰国。華族女学校教授に就任します。
女性の地位を高めるために自分自身の学校を作りたいと願う梅子は再度留学を決意。1889年、再渡米し、ブリンマー大学で生物学を専攻。その際に執筆した論文が英国の学術雑誌に掲載されたため、「欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性」と言われています。1892年に帰国。華族女学校、女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)で教鞭を執った後、1900年、女子英学塾を創設。生涯を通じて、女性の地位向上と女子高等教育に尽力しました。
この肖像の年代は、女子英学塾(のちの津田塾大学)を創立した年齢であり、津田梅子の教育者としてのキャリアが確立した年代である30歳代の写真等複数枚を参考として描かれました。
北里 柴三郎
きたさと・しばさぶろう(1853~1931)
熊本県小国町出身。「近代日本医学の父」と呼ばれる細菌学者。
肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現在の熊本県阿蘇郡小国町北里)の庄屋の長男に生まれ、幼少期は、四書五教などの儒教を学びます。1871年、18歳で古城医学所兼病院(現・熊本大学医学部)にて、オランダ人軍医マンスフェルトに師事し、医学の道へ。1874年、東京医学校(現・東京大学医学部)入学。在学中に予防医学を生涯の仕事とすることを決意し、卒業後は内務省衛生局に勤務します。
1885年にドイツ留学を命じられ、1886年からベルリン大学のコッホに師事。1889年、世界初の破傷風菌培養に成功し、翌年には破傷風菌抗毒素を発見して世界を驚かせます。さらにそれを応用して血清療法も確立。1892年に帰国後、伝染病研究所を創立。1894年には、ペストの原因調査のため香港に赴きペスト菌を発見します。その後、慶應義塾大学医学部の創設、日本医師会などの医学団体や病院の設立など、社会活動も積極的に行いました。
この肖像画は、風格や品位があり、学者としての地位が確立し、働き盛りで充実した様子が伺えるため、50歳代の写真等複数枚を参考として描かれました。
==ここまで==
この中でも一万円札の渋沢栄一は
「NHKの大河ドラマ 青天を衝け」
になってましたね。
それに、渋沢栄一は第一国立銀行の設立に
関わったのですからお札にはちょうどいい。
お金のイメージにピッタリですからね~
管理人のまとめ
今回は紙幣の人物はどんな人?
日本のお札に描かれる人物の魅力と背景
というお話でした。
日本の紙幣に描かれる人物たちは、
その時代の文化や価値観を象徴する存在。
彼らの選定基準や背景には、
深い歴史と意味があります。
新しい紙幣のデザインが発行されることで、
さらに多くの人々がその意義を再認識し、
日本の歴史や文化に対する理解が
深まることが期待されます。
日常的に使う紙幣を通じて歴史を学び、
新たな発見が楽しめそうですよね~
この記事が紙幣の人物の
参考になればと思います。
お札の人物、楽しんで下さいね!
(参考)
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